
謹んで新年の賀詞を奉りますとともに、皇室、国家の弥栄をお祈り申し上げます。瑞々しい新たな「甦り」を願って、毎年数十万人以上の参詣者が熊野速玉大社へお詣りされ、御神威をさらに輝かしめています。
熊野への道のりは昔と異なり難行苦行の感は薄れてきましたが、距離は歴然と存在し、今でも遥かな熊野であります。辿り着いた人々を分け隔てなく迎え入れてきた熊野・・・多くの人が訪れるこの地に生きる私たちの果たすべき責務はさらに大きいものとなってきました。
近年は特にアジア、ヨーロッパなど外国の参詣者も多くなり、いよいよ世界の熊野との感を強くしていた時、フランスから神道を研究するためにカソリックの神父さん達がわざわざ私を訪ねてこられ、宗教について語り合いました。それぞれの自然観、死生観などを通して、「我々は何に対して祈るのか」という根本の信条について、時間を忘れて話を深め合いました。
その後、彼らは神社の手水の意味や、お祓い、玉串の意味はじめ拝礼作法をきちんと理解した上で、本殿大前に進み、深々と拝礼をされました。私は、彼らのその姿に一神教と多神教の壁を越えた魂の交流ができたことを確信し、大いに感動いたしました。
一方、昨年五月に熊野と同じ道の世界遺産をもつスペインのサンテイアーゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を訪れる機会を得て、世界平和を祈って「神なぎの舞」を奉納してまいりました。恐らく初めて大聖堂に神道の祈りの姿、御神楽が捧げられたのではないでしょうか。

また、サンテイアーゴの巡礼の道には「歓喜の丘」という場所があり、旅を続けてきた巡礼者たちが彼方に大聖堂を見たとき、歓喜して喜んだそうです。
一方、熊野では、辿り着いた人々は涙を流し伏して拝みました。感動の表現は異なっても、どちらも尊い人間の姿だと思います。私は、すべての宗教は、世界の安寧、平和のために一つに帰結しなければならないと「万教帰一」の精神を訴え続けています。前述の二つは、この思いが一歩叶った忘れられない出来事となりました。
大自然と森羅万象の中にこそある「気高きもの」への畏れと感謝は、宗教をこえて「祈り」という大切な精神文化を人間の心に芽生えさせました。熊野速玉大社は、自らの姿を見つめ直し、新たな力ををいただくために祈る神聖な場所であります。言い換えれば、生きる力をもう一度受け取りにくる所だと思います。
今年は、世界平和の象徴として知られる熊野権現の御神木の「梛・なぎ」の枝をいただいて、福徳をさずける「神羊」を描きました。御神前で手を合わせて初春の祈りを捧げ、混迷の世の中にあっても、親と子の絆をしっかり結ぶ家族でありたいものです。
御参拝をお待ち申し上げております。
熊野速玉大社宮司 上野 顯 拝
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現世安穏を祈って|平成二十五年