現在ヲ読ム 平成21年5月1日

一日二十リットルの水

ある番組で深く考えさせられたことがありました。 どこの国か定かではありませんが、黒人のお母さん達が頭に甕(かめ)を乗せて、毎日一時間歩いて水を汲みに行くという映像でした。この甕一杯の二十リットルが五人家族の一日分の水だといい、小さな切り株を台にして、一滴も無駄にしないように何度も台の上からわずかな水も掬い取りながら食事を作っていました。

一人の若いお母さんに取材班が尋ねます。「もっと水が欲しくないですか?」と。すると彼女は、きれいな目で一言「これが神様が私たちに下さった量なのです」と答えたのです。私は、この言葉に射抜かれて全身に衝撃が走りました。

生きるために必要な水さえも充分にない厳しい環境にありながらも、彼女は身の境遇を恨むではなく、見事な言葉で神への感謝と自分の存在を語ったのです。

日本人一人が一日に使う水の量は、生活用水だけで約三百リットル。安易に比較することはできませんが、豊かな自然に恵まれた熊野で社家として生まれ育った私は、その恩恵に対して「感謝」という言葉をよく用い、「自然に感謝する心が大切」と説いてきました。素直な心でそう思っているのですが、この母親の珠玉の言霊にふれて、今まで自分が口にしてきた感謝という言葉とは異質の重みを感じたのです。

天からの恵みを「神様が私たちに下さった量なのです」と謙虚に受け入れ、まさに自然に生かされて暮らす彼女たちの気高さの中に、私は一神教と多神教の壁をこえた「神」を見たような気がしました。

もし彼女と同じ境遇におかれたら、果たしてあのような言霊が私にも授かるだろうか。水だけでなく、今ある自然の恵みをもっと大切に思い直し、生活を改めていかなければと強く思いました。

熊野速玉大社宮司 上野 顯


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