世界遺産
熊野速玉大社から南に1kmほど、そこに神倉山(権現山・千穂ヶ峯)が聳えています。
その急峻な石段を登りつめた先に、聖なる磐座「ゴトビキ岩」が鎮座しています。「ゴトビキ」とは熊野地方の方言で「ひきがえる」の意味です。太古の昔、熊野の神々はまずこの神倉山のゴトビキ岩に降臨されました。山や岩などの大自然の気高さそのものを神聖なものとして仰ぐ、御神体ゴトビキ岩を中心とする神倉山は、原始信仰の中から生まれた「熊野の昔始まり」を伝える聖域です。
日本最古の正史『日本書紀』の神武天皇紀に「熊野神邑ニ至リ 且 天ノ磐盾ニ登ル」と記されています。「熊野神邑(くまのかむのむら)」は新宮という地名の古称、「天ノ磐盾」は、神倉山の御神体ゴトビキ岩をいただく峻崖で、現在は神倉神社として祀られています。
神倭磐余彦(カムヤマトイワレヒコ=後の神武天皇)が熊野を訪れた折、神倉山に登拝されたことを記す重要な一文です。まさに神倉山は太古から続く神話を舞台とした神々の原風景を今に伝えています。ゴトビキ岩が放つ圧倒的な存在感を肌で感じてみてください。
神倉神社には、高倉下命(タカクラジノミコト)と天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。
『古事記』や『日本書紀』には、神武天皇の東征に際し、熊野で試練に遭われたカムヤマトイワレヒコを高倉下が救ったという伝承が記されています。高倉下は霊夢のお告げを受け、神剣「布都御魂(ふつのみたま)」をイワレヒコに奉りました。
イワレヒコは、熊野大神を奉護する高倉下と、熊野神の遣い「八咫烏」の導きにより、大和国へと向われ、橿原の宮にて第一代天皇に即位されました。
高倉下は、カムヤマトイワレヒコが天皇として即位された時、東征の功により侍臣となってヒツギの頌歌を誦し、天皇の御感を得ました。高倉下の子孫は代々熊野神に奉祀し、熊野国造として熊野地方を統治しました。
毎年2月6日、神倉神社では太古の火祭り「御燈祭り(例祭)」が執り行われます。白装束に荒縄を締めた2000人もの「上り子」が、松明に御神火をいただき、急峻な石段を駆け下ります。闇夜に連なる松明の炎が「山は火の滝 下り竜」と地元新宮節に唄われるほど、とても迫力がある勇壮な火祭りです。
御燈祭りの本義は、旧暦の正月にあたり、神聖な神魂(かもす)の火を祈願者の松明にいただき、各家庭に神をお迎えすることにあります。家の神棚に灯明をあげ、竈に火を灯し、歳神様の訪れを祝福して、さかむかえ(直会)を行います。熊野の新たな1年はこうして始まるのです。
参詣者を迎えるのは、仰ぎ見るような538段の急峻な石段、通称「男坂(おとこざか)」です。自然石を積み上げた荒々しく力強い造りは「鎌倉積み」と呼ばれ、建久4年(1193年)に源頼朝公が寄進したと伝えられています。
参道には、江戸時代に奥州南部の住人が寄進した石標や、藤原実氏卿の歌碑も残されています。長い年月にわたり、多くの人々の祈りを受け止めてきた、格調ある参道です。
神倉神社への登拝には、
急峻な石段を進む男坂と、比較的なだらかな迂回路である女坂のふたつのルートがあります。ご自身の体調や体力に応じて、無理のない道をお選びください。石段の麓に杖なども置いてありますので、ご自由にご利用ください。
ACCESS
アクセス・駐車場のご案内
熊野速玉大社から神倉神社参道口へは、
徒歩で約20分、お車で約5分です。
※カーナビをご利用の際は、「神倉神社 第1駐車場」とご入力ください。
お車でお越しの方
徒歩でお越しの方
神倉神社駐車場(無料)