熊野信仰のはじまり

甦りの地、熊野速玉大社へ


太古の昔、熊野の神々が最初に降り立ったと伝えられる聖地、神倉山・天ノ磐盾(ゴトビキ岩)。熊野信仰は、この場所から始まりました。森羅万象の営みの中で育まれた原始の祈りは、悠久の時を超え、熊野速玉大社へと受け継がれています。熊野が「甦りの聖地」と呼ばれる背景と、人々がこの地を目指し続けてきた歩みをご紹介します。

宮司あいさつ

私達の祖先はいつの頃
「神」を感じたのでしょう?

大自然は、温かい光と豊穣の恵みを与える生命の泉であると共に、人間の生活を、また自然自身をも破壊してゆく猛威も与えます。

大自然の恵みと驚異は、古代の人々の心に「恐れ」と気高く聖なるものへの「畏れ」、「感謝」の念を生み出していきます。森羅万象の営みに、神の存在を確信した古代人の原初体験が、熊野信仰の原点であります。

熊野には、大自然が創り上げた人間を圧倒する神々の原風景ともいうべき場所が今なお残り、そのような人々を寄せ付けない崇高な場所「神倉山」に、熊野の神々は最初に降り立ちました。

そして、景行天皇58年の御代、今の熊野速玉大社の場所に最初の社殿を建て「新宮」と号し、熊野の歴史が始まりました。

爾来、当大社では10月の例大祭において、毎年お旅所に杉の葉で作られた「仮宮」を建ててこの故事を伝えています。

難行の果てにある「救い」

熊野は古来、地位や立場、信仰の違いを問わず、全ての人々を分け隔て無く受け入れてきた祈りの聖地です。熊野古道は人の利便のために作られた道ではなく、熊野を目指して詣でた人々がつけた細く険しい道です。しかし、この道は遠く遙かな熊野三山を目指し、苦行をいとわず詣でた人々の直向きな祈りの結晶ともいうべき「命の道」であり、自らと向き合う巡礼の道でもありました。

人々は苦しみや迷いを抱えながらも、大自然の中に現れる神々の神気に触れ、映え輝く御神徳に守られながらようやく宝前に辿り着き、感激の涙によって心が洗われる思いで祈りを捧げたといいます。

熊野速玉大社には、「濡れ藁沓の入堂」という言い伝えがあります。山中を歩き、熊野川を渡り、また不意の雨にも打たれながら、ようやく辿り着いた人々の姿は、皆さんが想像するような煌びやかなお姿ばかりではなかったのです。たとえ草鞋が濡れて汚れていても、構わず礼殿に迎え入れなさいという、決して参拝者を姿や身なり地位などで区別することなく迎え入れてきた最も熊野らしい言い伝えです。

「濡れ藁沓の入堂」は、分け隔てない精神性を説いたもので、熊野速玉大社にお仕えする私達の大切な社訓となっています。

過去、現在、未来を
つなぐ救い、
魂甦る熊野詣

熊野速玉大社では、熊野大神の過去世、現世、来世にわたる熊野権現三世信仰による救いを説き、過去、現在、未来の全ての歩みを見つめることを大切にし、人々の魂の甦り、再生の祈りを続けて、令和10年には御創建1900年を迎えます。

熊野速玉大社の説く「甦り」とは、失われた命を取り戻すことではなく、自己の力を信じ、魂に再び生きる力をいただくことにほかなりません。熊野古道を一歩ずつ歩みを重ねながら自らと向き合うことで、人はそれぞれ生きる道を見いだしていきます。

熊野は、平成16年(2004年)7月、日本で12番目となる世界遺産に登録され、国内外から参詣者が増加しています。熊野速玉大社が、訪れるすべての方々にとって、自己の歩みを見つめ直し、もう一度生きる力を取り戻し、新たな出発の場所となりますようお祈り申し上げます。

熊野速玉大社 宮司 上野顕

熊野速玉大社 宮司 上野 顕

御由緒

熊野信仰、始まりの一歩
― 神倉山・ゴトビキ岩

『熊野権現御垂迹縁起』をはじめとする古文献には、熊野の神々は神代の昔、まず神倉山のゴトビキ岩に降臨されたと記されています。また『日本書紀』神武天皇紀には「熊野神邑(くまのかむのむら)」としてこの地が記され、神々がお鎮まりになる聖域として仰がれてきました。

聖なる磐座・ゴトビキ岩を中心とした、大自然の中にある神々の原風景を色濃く残すこの神倉山こそ、熊野信仰のすべてが始まった場所であり、熊野速玉大社の信仰の起源もここに始まると伝えられています。

神倉山・ゴトビキ岩の詳しい由緒や
参拝案内は、こちらのページをご覧ください。

聖地ゴトビキ岩

「新宮」名の由来
― 神々が遷られた新たな聖地

神倉山に降臨せられた熊野の神々は、次に熊野川の対岸石淵(現貴祢谷)に遷り、さらに景行天皇58年、現在の熊野速玉大社の社地へとお遷りになったと伝えられています。

このことから旧社地(神倉・石淵)に対して現在の社地を「新宮」と称されるようになりました。現在の神倉神社を元宮とし、熊野速玉大社を新宮と称される所以は、この故事に由来しています。

御祭神


熊野速玉大社では、熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)と熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)の二柱を主祭神としてお祀りしています。

熊野速玉大神は、神祖・伊弉諾命(イザナギノミコト)の映え輝く神霊を称えた力強い御神名のもと、現世安穏や自己を高める力、開運成就の御神徳が高い神です。熊野夫須美大神は、神祖・伊弉冉命(イザナミノミコト)の万物を育み結ぶ広大な御神徳を称えた御神名のもと、願望成就や縁結びの御神徳が篤い神です。

この夫婦神と、その御子神である家津美御子大神(ケツミミコノオオカミ)、別名、素盞嗚命(スサノオノミコト)の三柱を熊野大神として奉斎しています。さらに仏教が伝来すると神仏習合が進み、熊野では神が仮に仏の姿をかりて現れるとする熊野権現信仰が流布し、十世紀頃には熊野十二社(所)大権現として、神世七代の神々や皇室の祖先の天照大御神から神武天皇へと続く系譜の神々などの天神地祇をお祀りし、現在の荘厳な御社殿の景観が整いました。

御神木 梛


人生を甦らせる地としての歩み

樹齢千年の日本一の梛の大樹は、高さ凡そ十数メートルにおよび、古くから熊野を象徴する御神木として崇められてきました。平安時代の武将・平重盛公お手植えの梛は、現世安穏、海上安全、縁結びの信仰があり、古来、熊野を訪れた人々がお帰りの道中安全のお守りとして、梛の葉を持ち帰ったといいます。

また、梛は凪ぐ穏やかに通じることから、平和を祈る御神木としても広く知られ、戦後沖縄が祖国復帰を果たした昭和47年、当大社の梛が沖縄に植樹されました。今なお心静かにこの御神木に手を合わせる人の姿が絶えることはありません。

御神木 梛(なぎ)については
こちらのページをご覧ください。

熊野ヲ読ム

熊野信仰、全国への広がり


5000社を数える総本宮として

大陸から仏教が伝来すると、神と仏を一体のものと仰ぐ神仏習合が進み、熊野では神が仮に仏となって現れる「熊野権現信仰」が全国へと広がっていきました。

奈良時代、孝謙天皇の御世には「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、熊野三山の中でもいち早く「熊野権現」の称号を授かったと伝えられています。

さらに、平安時代から鎌倉時代にかけて中世凡そ400年の間に宇多上皇から始まる朝廷による熊野御幸があり、熊野信仰の歴史にかけがえのない光彩をあたえています。

爾来、熊野速玉大社は根本熊野大権現として篤い崇敬を集め、全国に祀られる凡そ五千社を数える熊野神社の総本宮としての歴史を歩んできました。

立場の違いや地位、信不信を問わず、分け隔てなく人々を受け入れてきた熊野信仰は、多くの人々の心を惹きつけ、「蟻の熊野詣」と謳われるほど全国から参詣者が訪れるようになりました。

御創建千九百年大祭
― 令和10年、大きな節目へ

全国の熊野信仰の総本宮として崇敬を集めてきた熊野速玉大社は、令和10年(2028年)、御創建1900年という大きな節目を迎えます。これを記念し、さまざまな奉祝事業を執り行ってまいります。記念大祭の日程や事業の詳細は、特設ページにてご案内しています。

節目を記念する取り組みについては、
こちらの特設ページでご紹介しています。

御創建千九百年大祭

国宝・文化財

悠久の歴史をつなぐ熊野速玉大社には、平安初期に制作された御神像をはじめ、天皇・上皇・幕府・守護から奉納された約千点の古神宝が伝わり、その殆どが国宝に指定されています。境内の熊野神宝館では、その一部をご覧いただけます。熊野信仰の精華に触れていただければ幸いです。

熊野神宝館の詳しいご案内はこちらから。

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