世界遺産
太古の昔、熊野の神々が最初に降り立ったと伝えられる聖地、神倉山・天ノ磐盾(ゴトビキ岩)。熊野信仰は、この場所から始まりました。森羅万象の営みの中で育まれた原始の祈りは、悠久の時を超え、熊野速玉大社へと受け継がれています。熊野が「甦りの聖地」と呼ばれる背景と、人々がこの地を目指し続けてきた歩みをご紹介します。
『熊野権現御垂迹縁起』をはじめとする古文献には、熊野の神々は神代の昔、まず神倉山のゴトビキ岩に降臨されたと記されています。また『日本書紀』神武天皇紀には「熊野神邑(くまのかむのむら)」としてこの地が記され、神々がお鎮まりになる聖域として仰がれてきました。
聖なる磐座・ゴトビキ岩を中心とした、大自然の中にある神々の原風景を色濃く残すこの神倉山こそ、熊野信仰のすべてが始まった場所であり、熊野速玉大社の信仰の起源もここに始まると伝えられています。
神倉山に降臨せられた熊野の神々は、次に熊野川の対岸石淵(現貴祢谷)に遷り、さらに景行天皇58年、現在の熊野速玉大社の社地へとお遷りになったと伝えられています。
このことから旧社地(神倉・石淵)に対して現在の社地を「新宮」と称されるようになりました。現在の神倉神社を元宮とし、熊野速玉大社を新宮と称される所以は、この故事に由来しています。
熊野速玉大社では、熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)と熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)の二柱を主祭神としてお祀りしています。
熊野速玉大神は、神祖・伊弉諾命(イザナギノミコト)の映え輝く神霊を称えた力強い御神名のもと、現世安穏や自己を高める力、開運成就の御神徳が高い神です。熊野夫須美大神は、神祖・伊弉冉命(イザナミノミコト)の万物を育み結ぶ広大な御神徳を称えた御神名のもと、願望成就や縁結びの御神徳が篤い神です。
この夫婦神と、その御子神である家津美御子大神(ケツミミコノオオカミ)、別名、素盞嗚命(スサノオノミコト)の三柱を熊野大神として奉斎しています。さらに仏教が伝来すると神仏習合が進み、熊野では神が仮に仏の姿をかりて現れるとする熊野権現信仰が流布し、十世紀頃には熊野十二社(所)大権現として、神世七代の神々や皇室の祖先の天照大御神から神武天皇へと続く系譜の神々などの天神地祇をお祀りし、現在の荘厳な御社殿の景観が整いました。
樹齢千年の日本一の梛の大樹は、高さ凡そ十数メートルにおよび、古くから熊野を象徴する御神木として崇められてきました。平安時代の武将・平重盛公お手植えの梛は、現世安穏、海上安全、縁結びの信仰があり、古来、熊野を訪れた人々がお帰りの道中安全のお守りとして、梛の葉を持ち帰ったといいます。
また、梛は凪ぐ穏やかに通じることから、平和を祈る御神木としても広く知られ、戦後沖縄が祖国復帰を果たした昭和47年、当大社の梛が沖縄に植樹されました。今なお心静かにこの御神木に手を合わせる人の姿が絶えることはありません。
大陸から仏教が伝来すると、神と仏を一体のものと仰ぐ神仏習合が進み、熊野では神が仮に仏となって現れる「熊野権現信仰」が全国へと広がっていきました。
奈良時代、孝謙天皇の御世には「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、熊野三山の中でもいち早く「熊野権現」の称号を授かったと伝えられています。
さらに、平安時代から鎌倉時代にかけて中世凡そ400年の間に宇多上皇から始まる朝廷による熊野御幸があり、熊野信仰の歴史にかけがえのない光彩をあたえています。
爾来、熊野速玉大社は根本熊野大権現として篤い崇敬を集め、全国に祀られる凡そ五千社を数える熊野神社の総本宮としての歴史を歩んできました。
立場の違いや地位、信不信を問わず、分け隔てなく人々を受け入れてきた熊野信仰は、多くの人々の心を惹きつけ、「蟻の熊野詣」と謳われるほど全国から参詣者が訪れるようになりました。
全国の熊野信仰の総本宮として崇敬を集めてきた熊野速玉大社は、令和10年(2028年)、御創建1900年という大きな節目を迎えます。これを記念し、さまざまな奉祝事業を執り行ってまいります。記念大祭の日程や事業の詳細は、特設ページにてご案内しています。
節目を記念する取り組みについては、
こちらの特設ページでご紹介しています。
悠久の歴史をつなぐ熊野速玉大社には、平安初期に制作された御神像をはじめ、天皇・上皇・幕府・守護から奉納された約千点の古神宝が伝わり、その殆どが国宝に指定されています。境内の熊野神宝館では、その一部をご覧いただけます。熊野信仰の精華に触れていただければ幸いです。
熊野神宝館の詳しいご案内はこちらから。
熊野ヲ読ム