熊野速玉大社公式サイト|和歌山県新宮市鎮座 根本熊野大権現 世界遺産

熊野速玉大社公式サイト

未来へつなぐ日本の祈り -宮司からのメッセージ‐

「和魂平安の祈り」熊野速玉大社宮司 上野 顯(平成29年1月)

謹んで新年の賀詞を奉りますとともに、皆様の弥栄をお祈り申し上げます。
昨年8月に、全国熊野会会長に就任いたしました。三千社以上の熊野神社が全国に祀られていますが、その代表として現在164社の熊野神社が集い、交流と研鑽を行なっております。
本年は更に多くの熊野神社の宮司様や総代様に御入会いただけるよう努めてまいりたいと思います。


さて、今年は熊野権現の象徴である御神木「梛」(なぎ)の御幣をくわえて初日に向かって羽ばたく金色の八咫烏(やたがらす)を描きました。八咫烏は、神武天皇が大和に向かう道中で道に迷われた時に橿原まで導いたという日本建国の瑞鳥で、熊野の神々の使者である証として3本の足を持つと云われています。梛は、熊野詣での人々が熊野速玉大社を参詣した折にこの葉を持ち帰ったという大神様との御縁を結ぶ有名な霊木です。また、「和魂平安」(わこんへいあん)の文字は和やかな調和の心に思いを寄せて書きました。

私達はいつも安らぎを求めて暮らしていますが、その代価として周囲の人を知らないうちに傷つけてしまうことがよくあります。生活環境が自分の思いのままにある時は和やかで平安の心を持ち続けることができますが、逆に思い通りにいかない状態で続くとストレスがたまり、気づかないところで気枯れ(ケガレ)を呼び込んで健康を損ない、過ちまで犯してしまいがちりになります。
つまり、私達は幸せや安心感を求めながらも、逆に福徳から遠ざかってしまいがちな世界で生きているのです。

本当の幸せは、物を求めて勝ちとることから生まれるのではなく、自分の信念を頼りにして、
たとえどのような環境にあっても世のため人のために尽くし、思いやりの心をもって生きるという生活から得られるものだと思います。

この一年は「和魂平安」を願い、家族、職場、社会においてお互いを大切にする謙虚な心を育てる年にしたいものです。

九州大地震義捐金を被災地に届ける ご協力頂きました皆様に感謝!

4月14日21時26分熊本県益城町を中心として発生した大地震の災害義捐金を、ご協力頂きました皆さんの応援の心とともに被災地にお届けしてきました。

義捐金募集は4月29日から6月30日にかけて、熊野速玉大社境内で敬神婦人会役員が交替で神社復興義捐金として参拝者に協力を呼び掛け、熊野速玉大社と宮司・職員からの募金を合わせて約200万円が集まりました。
7月4日から8日にかけて熊本県神社庁、熊本県護国神社、阿蘇神社、佐賀県神神社庁、熊野神社ほかを訪れ、お見舞いとお預かりした義捐金をお届けいたしました。

熊本県神社庁では宮崎國忠庁長がお迎え下さり、被災状況を伺った。庁舎も被災したため、2週間ほど護国神社境内にテントを張り災害状況の調査にあたった。「熊本県内の神社約1300社の内、半数にあたる約700社が何らかの被害を受けている。文化財指定の建造物は公的な支援金を受けられるが、そうではない神社は支援が受けられず途方に暮れている。氏子も同様に被災しているので、資金も労力も回らない現状。遠路届けてくれた支援に心から感謝します。・・・倒壊した社殿が重機で取り除かれてゆくのは、とても悲しい。厳しい自力再建の道に一層支援の輪を広げていただければ」と語った。

平成23年秋、熊野も未曾有の大水害を被り、例大祭まで一ヶ月の状況の中で、何をどのようにして切り抜けたのか、私は今でも思い出せない。たd、全国から送ってくれた支援物資を私達と同じように困っている人にも届けようと毎日職員と出かけ、夜遅くクタクタになってホテル浦島にお風呂を借りにいった時、大丈夫ですかと気遣ってくれた言葉に涙したことだけは鮮明に覚えている。熊本も、正に同じ状況なのだと感じた。

熊本県護国神社は緊急会議中に職員に義捐金をお届けした。翌日、坂本安彦宮司から「遥々熊野から来て頂き有難い。被災してみて初めて応援してくれる皆さんの心がどれほど嬉しいか身に染みます」と感謝の電話を
車中で受ける。

阿蘇神社では阿蘇治隆宮司とお会いし義捐金をお届けした。2回目の本震で重要文化財の楼門他、拝殿が倒壊、本殿の一部も傾斜した。楼門は8月から国庫補助を得て解体修理にかかる予定とのことで、まだ倒壊したままの状態だった。7月26日の例大祭が迫っており、丁度仮拝殿の建築材料を運び込まれていた。本殿に進めないので遥拝する。

佐賀県神社庁では、徳久俊彦副庁長と面談。早く自分たちの復興を遂げて、熊本を応援したいと話しておられた。このほか道路が危険で近づけなかった神社や本殿倒壊の被災神社はじめ、熊本県にも義捐金を送付させていただきました。温かいお志しをお寄せ頂きました皆様に心から感謝を申し上げます。今後とも熊野速玉大社では義捐金を募集していますので、何卒ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。

 

「神仏和合の祈り」紀伊山地三霊場会議総裁就任にあたり(平成28年1月)

謹んで新年の賀詞を奉ります。
今年は神木「ナギ」の御幣を持った子猿を抱いて、初日を拝む白猿を描きました。
初日にかざした金の宝珠は私達の「心」を表し、初日をうけて新たな生きる力をいただく甦りの願いを込めました。

saru01「浄く、明るく、正しく、直く」は生活の基本の姿でありますが、実はこの暮らし方が最も難しい時代に私達はいるのかも知れません。
この言葉を心の羅針盤にして、明るく真っすぐ元気に歩んで行きたいものです。

さて、昨年七月、紀伊山地三霊場会議 第二代総裁に就任いたしました。
この会は、日本で十二番目の世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」十五社寺で構成されています。神道、仏教、修験道の聖地が祈りの道によって繋がり、日本で初めて巡礼の道として登録されたことをうけ、平成21年、高野山金剛峯寺 松長有慶座主を初代総裁に迎えて「紀伊山地三霊場会議」が発足いたしました。

加盟している十五社寺は、世界遺産登録地に相応しい「第一の門番」として三霊場の保全と発展を目的に活動を続けていますが、
私はこの会の重要な存在意義は他にもあると思っています。

縄文時代にまで遡り自然信仰を起源とする神道、六世紀に伝わってきた仏法、七世紀に開かれた修験道という三つの異なった宗教世界は、「神仏和合」という希有な日本固有の精神文化を醸成し、未来に繋ぐかけがえのない遺産として伝えられてきました。

その象徴的存在である紀伊山地の三霊場が悠久の歴史の変遷を経て辿りつく未来には、必ずや宗教宗派の壁を越えた「萬教帰一」の姿が顕現されていなければなりません。

お仕えする私達は、独自の信仰の興隆、文化的景観の保全に努めながら、人類の救いのための祈りだけでなく、地球という全ての命あるものの母のために、宗教者が一丸となって祈り続けていくことが、今求められているのではないでしょうか。

この「和」の世界観、宗教観をもって、及ばずながら「第二の門番」としての
役目も心がけて行きたいと思っています。
どうか熊野、高野、吉野にお出かけいただき、神道、仏法、修験道の精神文化にふれていただきますよう、御参拝をお待ち申し上げております。

※紀伊山地三霊場会議 加盟社寺

(熊野)熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、補陀落山寺
(高野)金剛峯寺、金剛三昧院、慈尊院、丹生官省符神社、丹生都比売神社
(吉野)金峯山寺、吉野水分神社、金峯神社、吉水神社、大峯山寺

新春に祈る  (平成27年1月)

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謹んで新年の賀詞を奉りますとともに、皇室、国家の弥栄をお祈り申し上げます。

瑞々しい新たな「甦り」を願って、毎年数十万人以上の参詣者が熊野速玉大社へお詣りされ、
御神威をさらに輝かしめています。

熊野への道のりは昔と異なり難行苦行の感は薄れてきましたが、距離は歴然と存在し、
今でも遥かな熊野であります。
辿り着いた人々を分け隔てなく迎え入れてきた熊野・・・多くの人が訪れるこの地に生きる私たちの果たすべき責務はさらに大きいものとなってきました。

近年は特にアジア、ヨーロッパなど外国の参詣者も多くなり、いよいよ世界の熊野との感を強くしていた時、フランスから神道を研究するためにカソリックの神父さん達がわざわざ私を訪ねてこられ、宗教について語り合いました。

それぞれの自然観、死生観などを通して、「我々は何に対して祈るのか」という根本の信条について、時間を忘れて話を深め合いました。
その後、彼らは神社の手水の意味や、お祓い、玉串の意味はじめ拝礼作法をきちんと理解した上で、本殿大前に進み、深々と拝礼をされました。
私は、彼らのその姿に一神教と多神教の壁を越えた魂の交流ができたことを確信し、大いに感動いたしました。

一方、昨年五月に熊野と同じ道の世界遺産をもつスペインのサンテイアーゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を訪れる機会を得て、世界平和を祈って「神なぎの舞」を奉納してまいりました。
恐らく初めて大聖堂に神道の祈りの姿、御神楽が捧げられたのではないでしょうか。

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また、サンテイアーゴの巡礼の道には「歓喜の丘」という場所があり、旅を続けてきた巡礼者たちが彼方に大聖堂を見たとき、歓喜して喜んだそうです。
一方、熊野では、辿り着いた人々は涙を流し伏して拝みました。
感動の表現は異なっても、どちらも尊い人間の姿だと思います。

私は、すべての宗教は、世界の安寧、平和のために一つに帰結しなければならないと「万教帰一」の精神を訴え続けています。前述の二つは、この思いが一歩叶った忘れられない出来事となりました。
大自然と森羅万象の中にこそある「気高きもの」への畏れと感謝は、宗教をこえて「祈り」という大切な精神文化を人間の心に芽生えさせました。
熊野速玉大社は、自らの姿を見つめ直し、新たな力ををいただくために祈る神聖な場所であります。
言い換えれば、生きる力をもう一度受け取りにくる所だと思います。

今年は、世界平和の象徴として知られる熊野権現の御神木の「梛・なぎ」の枝をいただいて、
福徳をさずける「神羊」を描きました。御神前で手を合わせて初春の祈りを捧げ、
混迷の世の中にあっても、親と子の絆をしっかり結ぶ家族でありたいものです。

 

御参拝をお待ち申し上げております。                拝

現世安穏を祈って  (平成25年1月)

被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

昨年は、台風十二号による紀伊半島大災害からの復興元年として、失われた「お旅所」の復元と職舎の建設、また沖縄本土復帰四十年を記念する平和式典「世界平和への祈り梛」を沖縄で開催するなど多忙を極める一年となりました。

お陰さまで「お旅所」は、国、県、新宮市はじめ多くの皆様からお寄せいただきましたお見舞いにより昨秋復元することができましたが、まだ木々もまばらで、古来のこんもりとした姿には遠く、今後も植樹を続けて荘厳な佇まいを取り戻したいと願っております。
お力添えいただきました皆様に厚く御礼申し上げますとともに、今後とも何卒ご支援賜りますようお願い申し上げる次第です。
復興への道は未だ遠く困難を極めますが、今年は更に前進する一年にしたいものです。

さて、本年は癸巳歳(みづのとみとし)、熊野三党の末裔として父祖のあとを継ぎ神職の道を志して三十六年、私もついに還暦を迎える歳になりました。

新宮と縁の深い神武天皇のお導きにより橿原神宮で五年余り奉職して熊野に戻りました時、帰郷して最初に父から言われた言葉が思い出されます。
「最初の一年は、黙っておれ」。やりたいことがあっても最初は口を出さず、熊野で一から勉強し直せと言うことだろうと思いました。熊野について知れば知るほど奥が深く、どこからでも広がり掴み所がありません。しかし、天地(あめつち)を教えの源とする自然信仰を源流として、神と仏と人との関係を説いてきた熊野権現信仰に触れ、そして「救い」を求める人々の難行苦行の歴史に辿り着いた時、身が打ち震えるような感動とともに、何かが身体の中に入りました。
この時、ようやく父の言葉の真意がわかりました。そして、代々熊野の神々に仕える宮司家に生まれた私の覚悟が、ハッキリと決まった瞬間でした。

熊野詣の旅が命がけなら、祖先もまた真心をもって人々を迎え入れてきた史実・・・ これを熊野速玉大社の信仰の核において、「甦りの聖地 熊野」を初めて語ったことが、昨日のことのように思い出されます。
「現世安穏、救いの祈り」こそ、熊野詣の心そのものだと思います。
弱者救済、博愛の精神、進取の気質、権力に媚びることなく、信奉する者も信じない者も別け隔てなく受け入れてきた熊野の歴史は、どこを語っても光り輝いています。
還暦を迎えて、大神様のご加護をいただき、新たな気持ちで進むために、世界の平和と現世安穏の祈りを込めて、清らかな「白巳」を描きました。

皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

日本再生の祈り   (平成24年5月)

昨年九月三、四日の台風十二号の大水害に際しまして、全国の崇敬者、神社関係者はじめ皆様から、緊急の救援物資、御見舞い金、祭具など数々の御支援を賜り、衷心より厚く御礼申し上げます。皆様の温かい御支援に支えられ、職員とともに一丸となって復旧に全力をあげております。

当大社では、大鳥居や駐車場が水没、御旅所が全流出し、御船島も殆どの木が流されてしまいました。職舎三棟も床上浸水し、私も四か月に亙り社務所に避難いたしましたが、御社殿には大きな被害が及ばず不幸中の幸でした。道路網も既に復旧され、参詣には支障がありませんので是非御参詣下さい。

三・十一の大震災以降、微力ながら東北の被災地への慰問と支援活動をつづけてきましたが、まさか私達も被災するとは夢にも思っておりませんでした。明治二十二年以来の大水害を受けた熊野の山や川は、凄まじい土石流の力によって様相を一変させましたが、春から初夏の訪れとともに、少しずつ美しい天然の命が甦りつつあります。
自然が豊かな自然を、そして人間社会を破壊してゆく無常の様に言葉を失っていた時、遠くから、また近くから私達はどれだけ励まされたことでしょう。災害で失ったものは計り知れませんが、得たものも沢山あるのです。

厳しき父と慈母の顔を合わせ持つ自然の摂理とは言え、今世界中で起きている天変地異は、人類の驕りにくだす天の怒りなのかとさえ思われます。自然との共生を謳い、自然への感謝を唱えながら、一方で今なお地球上の至るところで楽を求めて自然を侵し続ける人類の不遜の歴史を今こそ改め、日本の再生の為に私達一人一人が思いをひとつにして、立ち上る時ではないでしょうか。

 

「未来につなぐ 日本の祈り」神と人と自然を結ぶ命の縦糸(平成23年5月)

この度の東北、関東大震災で亡くなられた皆様に、謹んで哀悼の誠を捧げます。被災地のご苦労は如何ばかりかとご案じ申し上げますとともに、一日も早い復興を願い、御神前に熱祷を捧げております。 さて、全国各地で四季折々に特色ある祭りが絶えることなく行われています。当宮でも、神馬、神輿、船に乗って神々がお渡りになる祭りが伝わってきました。

10月の例大祭では、神霊が御船島を巡った後、お旅所の「杉ノ仮宮」に遷されます。これは神倉山に降り立った神々を初めて里に迎えたとき、杉の葉を使って真新しい初めての宮を造り、秋の野山に実る自然の恵みを供えて鎮祀したという故事にならうもので、毎年同じ場所に変わることなくこの仮宮が建てられ、年に一度そこに還ることを再現いたします。

お旅所では、夕闇の中に松明が灯され、何より初めに童女が神楽を奏して神霊を杉ノ仮宮に鎮め、特別の神饌を献じて古代の神事が始まります。先刻までの御船祭の勇壮さとは対照的に、静寂のなか、神子の振る鈴音さえも哀愁をおび、灯りのなかで厳かに幽玄な世界が浮かび上がります。その神気に、参列者は誰一人として口を開くものもなく、大きな感動が込み上げてまいります。

私達は、雄々しき大樹や気高き山など自然万物に宿す聖なるものに、いつの世も神を感じてきました。大自然の中で織りなす営みとともに、人は祈りの原点を求め、自分自身を見つめ直してきたのではないでしょうか。

神と人と自然を結ぶもの、それは「畏む」という変わることのない日本の祈りの姿であり、二千年の歴史を繋いできた「甦りの熊野」の精神もまた、正にここにあると念うのです。

「神なぎの舞」の完成を寿ぎて    (平成22年5月)

私達の祖先は、差し昇る太陽の神々しい輝きをはじめとして、暮れゆく夕日のたとえようのない美しさ、また雄々しき山々や巨岩、巨木など、自然の営みの中に在る何か不可思議で聖なるものに「神」を感得してきました。

祖先たちが、自然の営みの中に自らの人生を照らしつつ伝えてきた変わることのない日本の心・・・。それは、自然万物に宿す「聖なるものを畏む」という、素朴で敬虔な「祈り」にこそあると思います。

平成十六年七月七日、熊野・高野・吉野地域が世界遺産に登録されましたことを機に、私は信仰というかけがえのない精神文化を、何とか形に残して次の世代に伝えたいとの思いを強く抱くようになりました。

このような思いをこめて、御神楽の創作をひたすら願い続けて参りましたところ、横浜雅楽会ほかで活躍されておられます副島昌俊先生が快く作舞・作曲に携わって下さることになり、先生の並々ならぬ御尽力により、聖地熊野にふさわしい御神楽が完成し、「神なぎの舞」と命名いたしました。
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天皇陛下御即位二十年、また両陛下におかせられましてはご結婚五十年という重なる慶祝の年に、記念すべき御神楽が誕生いたしましたことは、万感胸に迫るものがあります。 歴史に残る名曲を御奉納賜りました副島先生はじめ御力添え下さいました皆様に心から感謝を申し上げますとともに、神々を「畏む」という揺るぐことのない大和心をこの「神なぎの舞」にこめ、熊野速玉大社の御神徳とともに幾久しく後世までも舞継がれゆきますことを願ってやみません。

一日二十リットルの水     (平成21年5月)

ある番組で深く考えさせられたことがありました。 どこの国か定かではありませんが、黒人のお母さん達が頭に甕(かめ)を乗せて、毎日一時間歩いて水を汲みに行くという映像でした。この甕一杯の二十リットルが五人家族の一日分の水だといい、小さな切り株を台にして、一滴も無駄にしないように何度も台の上からわずかな水も掬い取りながら食事を作っていました。

一人の若いお母さんに取材班が尋ねます。「もっと水が欲しくないですか?」と。すると彼女は、きれいな目で一言「これが神様が私たちに下さった量なのです」と答えたのです。私は、この言葉に射抜かれて全身に衝撃が走りました。

生きるために必要な水さえも充分にない厳しい環境にありながらも、彼女は身の境遇を恨むではなく、見事な言葉で神への感謝と自分の存在を語ったのです。

日本人一人が一日に使う水の量は、生活用水だけで約三百リットル。安易に比較することはできませんが、豊かな自然に恵まれた熊野で社家として生まれ育った私は、その恩恵に対して「感謝」という言葉をよく用い、「自然に感謝する心が大切」と説いてきました。素直な心でそう思っているのですが、この母親の珠玉の言霊にふれて、今まで自分が口にしてきた感謝という言葉とは異質の重みを感じたのです。

天からの恵みを「神様が私たちに下さった量なのです」と謙虚に受け入れ、まさに自然に生かされて暮らす彼女たちの気高さの中に、私は一神教と多神教の壁をこえた「神」を見たような気がしました。

もし彼女と同じ境遇におかれたら、果たしてあのような言霊が私にも授かるだろうか。
水だけでなく、今ある自然の恵みをもっと大切に思い直し、生活を改めていかなければと強く思いました。

名誉宮司を懐う (平成20年5月)

昨年六月十六日当大社名誉宮司 上野 元が帰幽いたしました。享年九十一歳でありました。
父は、昭和十三年に國學院大學神道文化学部を卒業後、明治神宮に奉職 竈山神社(和歌山)主典 小御門神社(千葉)禰宜 平安神宮主典を経て 昭和二十一年 父祖の跡を継ぎ熊野速玉大社禰宜として故郷熊野に帰り、昭和三十五年宮司に就任いたしました。

終戦直後の混乱期から御造営に取り組み、皆様のお力添えをいただきながら、本殿、各殿をはじめ、神宝館、参集殿、また平成御大典記念事業として百二十年ぶりに結宮と大礼殿の再建を果たすなど、御神域の整備に心血を注いでまいりました。

平成十二年に宮司職を退くまでの六十二年間に亘り神明奉仕一筋に歩み続け、戦時中の灯火管制下にあっても祖父とともに神倉山の火祭りを途絶えさせることなく、伝統神事の命脈を護り通した気骨のある神主でもありました。

この間昭和三十七年に昭和天皇様、香淳皇后様、昭和四十六年に皇太子同妃両殿下、平成四年には浩宮様の御参拝を賜る光栄にも浴し、楽しい時も苦しい時も大神様のお導きのもとに、皆様に支えて頂きながら歩ませていただいた豊かな人生であったかと思います。ここに心から感謝を申し上げますとともに、御霊の幽世の御安坐をお祈り申し上げます。

今後とも名誉宮司の示された道を職員とともに真っすぐに歩んでまいります。どうか倍旧のお力添えを賜りますよう衷心よりお願い申し上げます。

子供を守るということ      (平成19年5月)

私達は、人生の大切な節目を迎えるごとに、氏神さまや周囲から「おかげさま」をいただき、知らないうちにお互いを思いやる心が育まれてきたように思います。また、家族の誕生日などの「家庭の祝日」を祝い合う心は、「家族の絆」という幸せの基本となる穏やかな生活環境を作り上げてきました。

しかし、昨今は善悪に代わって、物事を好き嫌いで判断する自己中心的な考え方が目立つようになり、命の大切さや家族の絆が揺らいでいます。

昨今の暮、ベトナム戦争で枯葉剤の影響を受けて生まれたあのドクちゃんが、無事成人し結婚することになったというニュースが流れました。

「結婚して、もし子供を授かることができたなら、たとえ自分の子供の上にどのようなことが起きても、その子の全てを受け入れ立派に育てます」と話すドクさんの姿に、私は思わず目頭が熱くなりました。若干25才の若夫婦が、まだ見ぬ我が子を想い、守ろうとする見事な親の覚悟を語ったのです。
子供を守るということは、ただガードするだけではなく、きちんとした躾をして立派に育てるという親の自覚と、家族を思いやる絆が必要なのです。
社会全体が渇き始め、心の砂漠化が進む中、彼の珠玉の言霊が普く人々の心に干天の慈雨の如く染み渡りますよう、願ってやみません。

濡れわら沓の入堂       (平成17年5月)

世界遺産登録から十ヵ月が過ぎ、熊野を訪れる参拝者も日増しに増えてまいりました。「山は重畳と連なり果ては海に達するところ 海は茫漠として広がり南海より波打ち寄せるところ」と形容される厳しくも豊かな熊野の自然の中に生まれた神々は、今も昔も人々の心を魅了してやみません。

熊野の魅力は語り尽くせませんが、「熊野の最も好きなところは?」と聞かれたら、私は迷わず「濡れわら沓の入堂」と答えます。

熊野三山をめざし、時には雨や嵐にも打たれながら難行苦行を続けて古道を歩いてきた人々は、足に履いたわらの沓もすでに泥まみれになっていました。この道者達を、泥だらけの沓のままでもよいからと、そのまま温かく拝殿に迎え入れることを、「濡れわら沓の入堂」といいます。

熊野詣に訪れる人々は、皆それぞれの想いを胸に秘めながら、やっとのことで熊野速玉大社の御宝前にたどりついたのですが、その人達をこのように別け隔てなく迎え入れたという歴史的事実に、私はとても感動させられます。

心からの参拝を志す者には、けっして見かけで判断せず、いつでも宏大無辺なご加護を垂れ給うという熊野権現の慈愛に満ちたこの言葉は、お仕えする私達が忘れてはならない大切な教えとしていつしか熊野速玉大社の社訓となり、今も私達の心に生きています。

屋久杉のこと         (平成14年5月)

熊野権現の森の木の葉も美しく生まれ変わり、柔らかい緑に包まれて静かに佇む丹塗りの御社殿は、さらに美しく光り輝いております。皆様には、日頃格別の御崇敬を賜り深謝申し上げます。

さて、どうしても調べておきたいことがあって、一月末に失踪を企て、秘かに屋久島に行ってきました。樹齢七千二百年の縄文杉は、雪に阻まれて残念ながら見ることはできませんでしたが、三千数百年以上といわれる紀元杉には出会うことができました。落雷や台風により上半分はなくなっていても、風雪に耐えながら気の遠くなるような悠久の時を経て、私の眼前にあるその大樹は明らかに他の杉とは異なり、はっきりと樹皮に神様の顔が現れていました。

島の殆どが山岳地帯で平野のない屋久島では稲作ができず、江戸時代になって年貢のためにやむなく屋久杉の切り出しが始まりますが、この時もむやみに伐採するのではなく、託宣によって木が選ばれたそうです。縄文杉も紀元杉も偶然残ってきたのではなく、数ある木の中から選ばれた特別の種であることには違いないのですが、その大樹に神性を感じ取り、代々伐らずに畏敬の念をもって守ってきた、敬すべき屋久島島民の信仰の歴史も決して忘れてはなりません。

大地に落ちた一粒の種から芽が出て二葉が現れ、やがて若木となり、大きくなると大木、大樹になる。大樹はさらに大きくなると何になるのでしょう?そう霊木、神木になるのです。私が屋久島で確認したかったのはここなのです。天地自然の中に神の存在を確信してきた原始の信仰の形こそ、我々が信奉する神道(かむながらのみち)の原点なのであります。

当宮にも樹齢千年を超える御神木ナギがあり、熊野詣での人々は、必ずこの葉を懐中に納めお参りすることを慣習としています。千古の信仰もこの御神木により護られているといっても過言ではないでしょう。

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熊野速玉大社への基金・御奉賛について